整体操法    
整体操法  
どんな技術もその人の隠された内面を如実に表す。
嘘やごまかし、ハッタリは通用しない。
従って日々技術を、こころを磨くことが肝要である。
今出来ることを、実直に、焦らずに、積み重ねて行く。

     
 野口整体 野口整体の初歩的な技術の一端をご紹介しています。
 
1.整体操法はいつ生まれたのか
 2.合掌行気法 活元運動
 3.上肢操法
 4.頭部操法
 
5.腹部操法
 
6.操法の前に
 7.脊椎の観察、操法について
(附 脊髄反射療法)

 8.体癖について

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野口整体を学ぶ上で知っておいて頂きたいので、この項目を加えました。
野口先生の全生、生を全うすることの思いの一部でも知る事が出来るかもわかりません。
先生のご本の中から、文章を頂いて載せております。
なお、著作権上問題がありましたら、お知らせ下さい。直ちに削除など致します。



整体操法は何の目的で、いつどのようにして生まれたのか

なぜ、いつ、どんな目的で組織を作ったのか。


整体操法の制定過程
昭和18年(1943)12月 整体操法制定委員会設立
昭和19年(1944)7月
毎夜の論議を経て整体操法の基本形を制定。同月の東京治療師会役員会にて発表。
全員一致の支持を得て、東京治療師会、手技療術の標準形を決定。その後、様々な角度から検討
が加えられ、一年後大改訂をがなされた。
その後も、連日多数の会員の協力によ実施、従来の殻を破った、手技療術の範をなすものへと、
整体操法が練り上げられた。

目的
整体操法とは手で体の不整を整へる技術であります。
手で体を整へるといふことは人間は昔から行つていたのであります。
私たちが腹が痛いと思はず腹を抑へ、頭が重ければ頭を揉む。さういふ習慣は欧米の人にも東洋
の人にも山の中の人にも海の島にいる人にもあるのであります。
そしてかうしたことは考へて行ふので無く、思はず行つているのでありますから、人間の体の
裡にさういう能力が在つたのでは無いかと考へられるのであります。
人間の本能の裡に手で体を整へるはたらきが在るとしたら、転んだ子の打った処を思はず押へた
り、苦しんでいる人の背を撫で擦つてやつたりする行為が、弱い者に対する自然の情によつて喚
びおこされて行はれたといふことも想像出来ることであります。
それ故手で体を整へるといふことは昔々から存在していたのでありまして、誰が発明したとか、
発見したとかいふもので無く、吾々自身の生命の裡に存していた本能の医術であります。
今日におきましては自分が健康であるか病気であるか、自分以外の他人の診断をまたねば、又
機械による検査をまたねば判らなくなつてしまつたのであります。
活き活き元気であることより、病気がなければそれが健康であるやうに考へやうになり、治療
行為といふことが、ただ病気を速く治すことのみを目的として行はれるやうになつてしまつたの
であります。
しかし病気はないが元気がない、苦痛はないが働くとすぐ疲れ、眠れば夢見、覚めれば可しと可
からずに包まれて焦ら焦らくらしている人ばかりが増えたのでは、いつも怠けたい人が腹を立て
てばかりいるやうになつて、
人間は生きていることの欣びを感じないうちに死んでしまうやうに
なつてしまひます。
働きたい要求で働き、食べたい要求で食べ、眠りたい要求で眠る人が日にすくなくなつて、皆時
計と睨み合つて、その針によつて働き食べ眠らないと不安になつて、いつしか裡の要求を忘れて
しまつたのでありませう。

こういふ世の中に本能の医術を普及して人間の生命についての本能的な感覚を鋭敏にし、活き活
きした生くる欣びを皆で感じられるやうにしたい為、手で体を整へるはたらきを人間に取り戻す
方法として整体操法を組織したのであります。
之に応へた人々に依つて整体操法が出来上つたのでありますが、整体操法は手技療術にのみ呼び
かけおるのではありません。あらゆる頭の医術にむかつて、本能の裡にあるはたらきに基いて行
へと呼びかけておるのであります。
中略
整体操法を制定するに当たり、手技療法の沿革をしらべますと、真に優秀な技術や又正当な見処
に立つ技術が必ずしも多くの支持を受けていたとは申せませんでした。しかし世の風潮は百年か
百五十年経れば変わるものであります。いつか本当のことを見る時が来るものと思ひますが、
それ迄認められなかつた優秀な技術を残しておき度い、そうした考へが整体操法に特殊操法を設
けた理由でありますが、すでにこの世を去つた人々の技術を探す術も無く、その面影でその技術
を求むることは容易なことでは無く、まことに残念であります
。優秀な技術、立派な見処をもち乍ら、この世で認められずに去つた幾多の人の心を想ふ時、
吾々は感慨深きものがあります。
中略
按摩導引の古来の手技整体の法と之に結びついて日本的なものと化し、之が又分離して近頃の手
技療術になつたのであります。
それゆえ日本の手技療術は、漢方型、米国型、印度型と古来の苦手型の混同したものでありまし
て、そのしたに催眠術的な心理療法があるので、一寸他国に無い形になつているのであります。
人体調整に解剖学的構造の一部を中心と認め、その部の調整が全体を自ら正しくするといふ考へ
方の手技療術は吾が国に於いては甚多く、斎藤虎太郎氏の生理的療法は腰部の或一点を人体の中
心と見、その部の異常を除けば万病自ずから無しと主張し、永松卯造氏の操法に於いては腹部の
或る一点に治療の中心を見出し、万病はその一点の操法で治ると称し、野中豪作氏は腹部外側の
線を健康線として、そこに異常が無ければ健康であると説いておりますが、或る人は頭部に、又
或る人は四肢に、又或る人は胸部に、宮廻清二氏の如きは尾呂骨の異常を整へれば胸郭を広げ得
ると申しております。人間が本当に丈夫であるにはその人自身の体のはたらきで活き活き生くる
ことでありまして、護り庇つて無事であっても人間が丈夫であるとは申せません。
いつの世の中でも悪いものは良いものを蔽ひ、雑草ははびこつて良種は伸びないのでありますが、
人間を真に丈夫ならしめる為の技術はそのまま放置しておく訳には参りません。手技療術を自然
の本道に立ち戻しより向上させ、人間を丈夫にする為に役立てねばならないと考へて、東京治療
師会の手技療術を行ふ人々に計つて一には今の世人の要求に添ふより人間が丈夫になつてゆく正
しい道を拓く為、一にはその技術を交流してその研究を大ぜいの人で行つて確め真に良き技術に
する為、現代行はるる手技療術を一個のものとなす可く、その標準型を制定したのであります。
之が整体操法であります 。
尚第一回の整体操法制定委員会は、 野口晴哉(精神療法)を委員長として、次の十三名の委員に
よつて構成されていました。
梶間良太郎(脊髄反射療法)、山田信一(オステオパシー)、松本茂(カイロープラクテイック)
佐々木光堂(スポンデラテラピー)、松野恵造(血液循環療法)、林芳樹(健体術)、伊藤緑光
(カイロープラクテイック)、宮廻清二(指圧末梢療法)、柴田和通(手足根本療法)、山上恵
也(カイロープラクテイック)、小川平五郎(オステオパシー)、野中豪作(アソカ療法)、山
下祐利(紅療法)、その他に美濟津貴也(圧迫療法)外三、四名の臨時委員が加はりました 。
整体操法制定の為選ばれた委員は現代行はれる手技療術の各部を代表せる大家であるが、その説
くこと主張することを聞くと、どの人の主張にも表現は異なるが共通しているものがあることが
判つた。
ヘッドはその発見した近く過敏帯に最高部があるといひ、アブラハムは一定の内臓の異常が一定
の脊椎に圧痛点が現れることを説いているが、ヘッドの説によれば皮膚は内臓の鏡だし、アブラ
ハム説によれば脊椎は内臓反射によつて記るされた書物だといへないことは無い。カイロープラ
クテイツクはその生命の報告を椎骨の位置で読み、野中氏はその健康線で聞き、柴田氏はそれを
足趾に見るが、要するに生命の報告に基づいて操法しているといふことに於いては一致している。
しがもその異常の報告点は押圧その他の手技を加へられると快に感じるものであり、その快を破
るやうな操法はしない。皆身体外部から手指による調整的技術を行つている。
そして快は体の要求の適の総合感覚であるから、手技療術は一言にいへば生命の報告によつてそ
の要求に基いて操法する手指の技術といふことになる。
そして或る人は頭のその変に対する調整的技術で全身の異和を除き、或る人は足趾又脊椎、又腹
に行ふ操法によつて全身の異常をの除く力を体に現はすのだから、その技術が合目的に行はれ、
その結果も体の合目的的なはたらきによるもであることは明かである故、之らの操法が病気その
ものを対象にして行はれるのでは無く、自然癒能力の誘液発動を目的として為されるのだといふ
ことが判る。そして身体外部から行ふのであるから、その操法は感受性によつて一の刺激として
はたらくのであるといへる。それ故手技療術は、人の感受性を利用して自然良能を促進せしめる
手指の技術といふことが出来る、つける可からざる優劣を論じ、長短を指摘し、その体験を削り
合って「処」と「型」 を決定した。

先入観にとらわれない、どこへアプローチするのか

私(野口晴哉)は、はじめは神経系統の知識をいろいろ研究し、工夫してきました。経絡の研究
もして来ました。当時私は心理療法をやっていたので、整体操法委員会の委員長になってからそ
ういう研究をやりだしたのです。ところが集まった十数人の手技療術専門の委員の知識はといえ
ば、彼らの知識を全部集めても、私の十分の一もないのです。私はそれくらいせっせと知識を集
めました。
「ああ、みんな知っていないのだな」と思いました。手技療術の面だけでいっても、他の人の勉
強態度と比べると、私は大分熱心にやりました。
神経系統の問題も、経絡の問題も、実に細かく研究しました。しかし、その結果、そういう知識
を全部捨てて、
体の動きを自分で確かめていこうと決心しました。なぜかと言うと、そういう知
識によってでは、効いたり効かなかったりするからです。人によってそれが違うのです。
効くときは気分がいいものですが、効かなかったら実に体裁が悪くてしようがない。
それで、一人ひとりの個性をはっきりさせることが先決で、一人ひとりの急所をつかまえること
が大事だと、そう考えた。だから、直接、相手に手で触って確かめる、という方法をとりだした
のです。
いまでも私は、それを自分の楽しみとしてやっております。人の体を丁寧に見ていくことは、や
はり楽しいのです。変化をみていくことは楽しいんです。
知識や先入観があると、相手の状態が見えなくなってしまうことがある。寝小便や、屁の問題が、
相手にとって死活問題になることだってあるのに、解剖学の知識や、漢方の経絡の知識に捉われ
てしまっていると、なぜそれがその人の死活問題にまでなるのかの見当つかない。
常識で考えればすぐに判ることも、それらの知識に偏してしまうと時にそれが素直に見えなくな
る。失恋した人をみて、顔色が良くない、食欲がない、だから経絡のどこどこが閊えている、頸
椎のどこどこが故障だ、なんていうことになってしまうことだってある。
先入観を持つという事は危険なことで、私はそういう先入観を捨てました。

素直に相手の体の動きだけを見るようにしてきました。

そうなるためには、随分骨を折りましたけれども。相手の調節も、体運動を正常に戻すという一
点に絞って一切を処置してきました。それが今日の整体操法です。
こういう病気の為にここを治す、なんていうのは嘘です。確かにD6が曲がればその影響で胃袋が
わるくなったり、大便が固まらなくなったりはします。D7が悪くなれば、白血球の数が少なく
なったり、多くなったり、あるいは糖尿病を起こしたりという症状はあるけれども、病気の為に
そういう変化を起こすわけではない。
やはり、運動系の異常とみて、処理をする方が本当と思われる。
それで私はそういう考え、立場に立てるところまで、運動系の変化を見て、経絡とかいう過去の
迷信や古い知識、あるいは人間が得てきた知識というものを捨てるようにしてきたのです。
運動系を見るというのは人間の裡にある原始の力、あるいは生命というものを見るという事です。
原始の力が一番本当で、生きるのも、成長するのも、繁殖するのも、そういう原始の力で、それ
以外のものではどうにもなるものではない。
その原始の力だけ見て、そして要求と運動、運動と潜在意識そして体の構造をじっと見て、ぐる
ぐる動かしていって、変化を見ていくことをやってくるようになったのです。
それが今日の整体操法です。
整体操法は、解剖学的な構造に入っての問題、たとえばここに胃袋があるとか、腸があるとかい
う問題から、神経系統の問題とか、漢方の経絡の問題とかいうものをすべて捨ててしまって、た
だ見える処の動きだけを見るということおこない、その見える処の悪い処だけを調節する、とい
うことだけをやって参りました。
それは見ようによっては、非常に非進化的なやりかたと映るでしょう。「これは解剖学的構造に
よってそうなっている」とか、「経絡によればそうなっている」とか、いろいろな説明を勿体を
つけながらすることはできるでしょうが、いざ実際に技術を運用してみると、それらの説明や、
それらの知識が先入観となってしまい、てんでおかしな結果を引き寄せてしまいかねないのです。
過去の知識にしばられると、先入観が働いて、見えるものも見えなくなることが起こるのです。
それだけでは、過去に行われたこと以上のことは出来ませんし、過去の専門家を超えることも出
来ません。同じ出発点では駄目なんです。
そこで私たちは、
運動の失調状態を正常に戻すという、これまで誰もやってこなかったことをや
り始めたわけです。そして実際にやってみると、今まで治らないとされていたものが治ったり、
それまで出来なかったことが出来るようになった。
鍼灸がドイツに渡って、有名になったというが、たとえば脳溢血は昔から難病だったし、今でも
それは変わらない。いくら経絡の論理で針を打っても、治すことが出来るのは稀である。それ以
外の病気についても、みな同じようなもので、神経衰弱ひとつ治せない。
最近よくいわれるヘルニアも、昔は仙気と言われていましたが、これも難病の一つとして、うま
く治らないものでした。ただ、たまたまこの仙気が生殖器の異常と関係があるということで、仙
椎部に針を打つと治る。しかし、それ以外の場合には治らない。
今も昔も治らないんです。
そういうように、経絡理論というような過去のものを再び持ち出そうとしてみても、何も始まら
ないのです。
やる以上は、新しい原理をつかまえ出してやらなければならない。
私は、そういう新しい原理で見るということをやり出してからは、人間の体の動きや変化を見る
ことが楽しくなってきて、丁寧に、綿密に、細かく見ることが出来るようになってきました。
私は手足根本療法という経絡治療をやっている柴田和道君に、「経絡は捨てろ、そんなものがあ
るから全体が読めないんだ。足の親指が狂っているから経絡によって肝臓が悪い、などというこ
じつけは止めろ。」と言いました。そして「親指が狂っている人の中に肝臓が悪い人が何人いる
のか、小指の狂っている人の場合に何人肝臓が悪い人がいるのか、というように確かめていけば
いい。
実際に足の親指の狂った人が多ければ、その親指の運動状況、足親指に体重がかかる時の姿勢と
肝臓の異常とにどういう関係があるのか、それを調べていけばいい。そうすれば経絡よりももっ
と多くのことが、足の指の研究につながるはずだ」と言った。

ところが彼は、「それじゃあ講習の内容が難しくなってしようがない。やはり経絡を説いて、そ
の関係があるからこうやるのだ、と言えば人は信じる。」と。
これでは目先の商売の為に真理を見失っているということになる。せっかくの真理を得る機会を
失ってしまっている。だから彼は早く死んだし、そしてとうとう本当の事を究め得なかったん
です。そういう先入主があった、あれは惜しいと思う。

野中豪策君はそれに対して、先入主を全然持たないで、直接研究していた。
それまで誰も体の中心部分を恥骨を押してで治すということを考えたことがない、しかし前歯の
痛い時に恥骨を押さえると止まる、喉の悪い時に恥骨を押さえると声が出てくる、恥骨を押さえ
ると皮膚病が治る、これらのことは皆さんも経験済みのことと思いますが、生理解剖や経絡を研
究していたら、こんなことは出来やしません。
そういう点で、私は柴田君より野中君の方を百倍ほど高く買っております。
それは人間を見ることにおいて優れており、独特の視点で見ていた。
後で知ったのですが、柴田君の師匠は漢方の<経絡>をやっている人だったということで、一度
身につけたものを捨てるということが、いかに難しいものであるかがわかる。 
私はどうやらそういうものを捨てることが出来たので、割に素直に<体の動き>を見ることが出
来るようになった。
まあ、そんなこんなで、余分な知識で体を見るということは警戒すべきことなのです。
知識を得ることが悪いという事ではない、悪いという場合があるということです。

運動系と入れ物
我々が
整体操法の対象としているのは、言うまでもなく運動系であり、その動きです。
臓器が対象になっているのではない。
一般に病気治療というと、臓器を対象にすることが多いわけですが、そういう場合、たとえば虫
様突起炎を起したらそれを切り取ってしまう。
虫様突起を手術で切り取った身体を調べてみると、どの身体も、腰椎の二番が右に曲がっている。
そしてどれも右足が太く短くなっている。そういうことを考えると、
入れ物の歪みが、そういう
故障を引き起こしたと考えることも出来るのではないか。
臓器そのものの故障だけしか見ていな
いと、腰や足などを含めた、入れ物としての身体の歪みというものを全く考えなくなってしまう。
しかし我々は、普段使っている、生活と直接繋がっている運動系を対象として、それを整理する
ことで、臓器の状況などを逆に支配できるのではないか、そういうふうに考えるのです。
臓器の現象も、みな「運動系」に知覚反射として現れているから、運動系の知覚過敏を確かめる
方が、かえって実際の状況を知りうるのではないか。
そういうことで、我々は運動系の動き具合というものを対象にして、人間の身体を追求してきた
わけです。
そして、どういう運動系の動きが悪いと、どういう異常を起こす、こういう動きの異常は、こう
いう処と関連がある、というようなことを確かめてきました。

◆私たちは治すことを考えてばかりいますが、治すことで相手の体の調子がどうなるのだろうと
いうことを忘れ、曲がったものを正すことだけを考えていては、相手の体の調子を却って乱して
しまうこともあるので注意する必要があります。



      
次へ進む 野口整体 合掌行気、活元運動
野口整体の初歩的な技術の一端をご紹介しています。
 1.整体操法はいつ生まれたのか
 2.合掌行気法 活元運動
 3.上肢操法
 4.頭部操法
 
5.腹部操法
 
6.操法の前に
 7.脊椎の観察、操法について

 


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